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須山口って?

LISのイチフジ(1合目からの富士登山)では須山口をガイドしています。

須山口はマイナーなルートで一般的に知られている4大登山道(富士吉田・須走・御殿場・富士宮)の中に名前が入っていません。

ただ、富士山が世界遺産登録をされた際は、須山口登山道(現・御殿場口登山道)という形で登録されました。

このことが示す通り、須山口は知名度こそありませんが、明治時代に新しく出来た御殿場口と比較すると、長い歴史を持った登山道です。

 

須山口の歴史

須山口登山道がいつ頃から登られてきたのか、はっきりと分かっていないのですが、その拠点となった須山浅間神社の歴史と合わせて、簡単に年表にしてみました。

1486年 京都・聖護院門跡の道興が「すはまぐち」を訪れたという記録あり、記録に現れる最古の須山口の記述
1522年頃 須山浅間神社に甲斐の守護大名・武田信虎(武田信玄の父)が奉納をした記録がある
1707年 【宝永噴火】登山道上に火口が出現したため、以後数十年間、須山口からの登山が途絶える
1780年 宝永火口を迂回して、須山口登山道復活
1800年 60年に一度の庚申(かのえさる)のご縁年、須山口より5398人が登拝
1883年 御殿場口が開通
1889年 東海道線(現・御殿場線)が開通し、便利な御殿場口に登山者が流れ、これを機に須山口は衰退へ
1912年 大野原が陸軍の演習場になり、須山口の通行が出来なくなる
1923年 関東大震災により須山お胎内が崩落
1997年 須山口登山道保存会により須山口登山歩道開通(復活)
1999年 須山口登山道保存会により須山口下山歩道開通(復活)

記録にある通り、室町時代から須山浅間神社が地域の富士山信仰の拠点となっていました。

中世の富士山は修験道が盛んだったため、お隣の村山口の修験者は村山口を登り須山口を下りるルートを辿っていたようです。

他の地域の登山道と同じように、江戸時代中期からは修験者だけでなく、遠隔地から須山に登山者が集まってきていました。

記録によれば、北は出羽の国、南は九州から須山口に登りに来ていた記録があるそうです。

1800年の5398人がおそらく、須山口の歴史の中で最も登山者が集まった年ではないでしょうか。

 

登る人が少ない登山道だからこそ

年表を見て頂ければ分かりますが、須山口は1707年の宝永噴火と、1912年に陸軍の演習場に接収されたことにより、2度に渡り登山道が寸断されています。

このような歴史を辿った登山道は他にありません。

明治以降の近代化により、他の登山道は5合目まで道路が開通し、今でも毎年多くの登山者が訪れています。

その反面、須山口登山道は登る人がほとんどいなかったために、比較的山麓の森に人の手が入っていません。

宝永火口の間近を歩くことが出来、富士山の自然本来の姿を体験できるのが、須山口登山道の最大の魅力です。

 

6合目から上部は富士宮口登山道、下山時は御殿場口登山道を利用しますが、1合目から歩くことで江戸時代の登山者が見たのと同じ景色を体験することが出来ると思っています。

須山口の歴史や文化、自然については実際にガイドする時により詳しくお話していますので、是非興味を持たれた方はお早めにお申込み頂ければと思います。

参考文献:須山口登山道調査報告書(裾野市富士山資料館資料集)